大丈夫

[ヨブ記 1:5]

宴会の日が一巡すると、ヨブは彼らを呼び寄せて聖別した。朝早く起きて、彼ら一人ひとりのために、それぞれの全焼のささげ物を献げたのである。ヨブは、「もしかすると、息子たちが罪に陥って、心の中で神を呪ったかもしれない」と思ったからである。ヨブはいつもこのようにしていた。

聖書 新改訳2017

[ヨブ記 3:25,26]

  私がおびえていたもの、それが私を襲い、
  私が恐れていたもの、それが降りかかったからだ。
  安らぎもなく、休みもなく、
  憩いもなく、心は乱れている。



聖書 新改訳2017

[マタイの福音書 6:26,27,30,33,34]

空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。それでも、あなたがたの天の父は養っていてくださいます。あなたがたはその鳥よりも、ずっと価値があるではありませんか。
あなたがたのうちだれが、心配したからといって、少しでも自分のいのちを延ばすことができるでしょうか。
今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。信仰の薄い人たちよ。


まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。


ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。

聖書 新改訳2017

[ヨハネの福音書 14:27]


わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません。

聖書 新改訳2017

※適用

私の尊敬する牧師が以前指摘されていたことだが、ヨブには少し強迫性障害の傾向があったようだ。

とても敬虔な信仰心を持っていたが、常に先回りして心配する癖があった。

神は私を信頼しなさい、と言っているのに勿体ない話だ。

心配のしすぎは良くない。

余談だが、私は心の中で時々こういう風に唱えることがある。「何があっても大丈夫。日々是好日。日々感謝」と。何か辛い時にこう思っていると不思議に心がふっと軽くなる。日々是好日は禅語だが、キリスト教にも通じるものがある。